自分の感情を愛する方法

こんにちは。Rayです。

自分の感情を、思ったよりも感じようとしていない。というのは自覚しているでしょうか。

 

意外と、私たちは自分の感情にフタをいています。

イライラすることとか、悲しいこととかあったとしても、思いっきり怒ったり泣いたりすることを、我慢する。というのをふつうにやっていたりします。

 

自分では、自覚的には、

いや?感情?感じているよ。だってムカツクもん。イライラするし。

嬉しいときはうれしいし。悲しいときは落ち込むし。泣いたりするし。

 と、思っていても、無自覚的に「怒ったらダメ」とか「泣いたらダメ」などと禁止していたりするものです。

 

感情は自分の一部です。つまり、感情=自分です。

感情を感じずに我慢させているのは、「自分の感情を愛していない」状態です。

自分の感情を愛するには、感情を感じればいい。ということです~!

 

 

【感情を感じることを禁止・我慢しているかどうか。のチェック方法】

・自分のまわりに、激しく感情的に怒っている人がいる

・自分のまわりに、ひどく悲しんでいる人がいる

・怒っている人を見ると「そんなに怒らなくてもいいのに」と思う

・怒っている人が怖い・逃げたい

・怒っている人に対して「クズ、ダサい、ウケる」と思う

・泣いている人を見るとイライラする

・泣くことを「かっこわるいこと」だと思う

・泣いている人や怒っている人に対して「かわいそう」と思う

・泣き虫な人、自分をダメだなと思う

・感情的な人、自分をダメだと思う

・楽しい事、うれしい事があったとしても、その後に「なんかむなしい…」と感じることがある

  ↑こんなふうに思うなら、自分の感情を愛していない。禁止している、我慢している。に当てはまります。

 

 

実は、「怒り・悲しみ」を我慢していると、本来感じたい「喜び・楽しみ」の感情も感じられなくなってしまいます。

怒りや悲しみをちゃんと感じて発散させないまま、「気分を良くする!ワクワクを追及!」とかしても、「なんか足りない、おもしろくない」となるでしょう。

怒りや悲しみをちゃんと感じて発散させると、喜びや楽しみも感じることができるようになるでしょう。

喜び・楽しいとかの感情を実は嫌っている可能性もあったりなかったり

 

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感情を感じる・愛する方法

では、さっそく感情を感じてみましょう!

 

ノートとペンをだしてください。自分のまわりにいる嫌いな人、許せない人、イライラする人がいるなら、その人宛てに怒り・文句の文書を書いてください。

父親、母親、兄弟、姉妹、好きな人、恋人、友達、会社の人、そのへんの人、嫌だった出来事、悲しかった出来事についても書いてみましょう~。  

 
・その人、出来事に思うこと、言いたいこと

・その人の大っ嫌いなところ、許せないところ、○○なところが嫌い!

・その人に何を感じるのか

・何をされて嫌だったのか

・何がどう嫌だったのか、許せないのか、悲しかったのか

・どうしてそう思ったのか

・どんなふうに嫌だったのか

・どれぐらい嫌だったのか

・あれはどうかと思う

・その時の自分の気持ち

   などなど具体的に、感情をのせて書きなぐってください。

 

遠慮する、こんなこと言ったらダメ、こんなこと思っちゃダメ、とか一切なしです。何書いてもいいです。どんなひどいこと書いてもいいです。「死○」とか「コ○ス」とか書いてもOKです。マジです。

 

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いま嫌な事と過去嫌だった事

「現在進行形で嫌いな人」や「現在進行形で起こっている辛い事」を書くのも重要ですが、できれば「過去、誰かに対して怒っていたり、悲しんでいたこと、言いたかったこと、辛かったこと」も書いてください。

なるべく遠い昔で、思い出せる範囲で。

 

なぜ、「過去の出来事」に対して書くのか?というのは、過去に出したかった怒り・悲しみのしこり。膿みたいなものがたまっていて、その膿を取り除いてないから、膿がたまりにたまって、現在に至る。って感じになっているからです。

 

①過去の怒り⇒我慢・禁止⇒②再度怒りたい出来事⇒我慢・禁止⇒③再度怒りたい出来事⇒我慢・禁止…以下ループ

 

①で怒れなかったしこり、膿を持ち越しているから②、③とループしていって「怒り・悲しみがパンパン」な、状態なのです。

過去からの膿を出しましょう~。ってことです。

 

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【最重要】我慢しない

最重要なのが、「怒る・悲しむことを我慢しなくていい。本気で言いたいことを書いていい」と自分に言いきかせながら書く。です。

無自覚で「怒る・悲しむ」を我慢してきた人は、「怒る内容、悲しむ内容」を書けません。表現できません。

相手に「こんなこと、言ったらダメ」とか「こんなこと思っている自分はサイテーだ」とか思って書けなくなります。どうしても我慢しようとします。我慢する強い力が働きます。でも、それほど自分に「怒ること、悲しむこと」を禁止してきたわけです。

感情を感じることが目的で書いているのに、ここで我慢すればまたループです。

ノートは誰にも見せるわけじゃないので、安心して書いてください。

(「なぜ我慢してしまうのか?どうして我慢するのか?」についても書いてみてください。)

 

感情を出しに出しまくって、怒り心頭で発狂、罵詈雑言、わざと大声出す、わんわん大声で泣く、泣きじゃくって目を腫らす、などなどコンプリートしてほしいくらいです。

 

あ、またここで「明日は仕事だから目を腫らせない」とか「泣いていたらまわりが心配する」とか「狂った人間だと思われる。イヤ」とか思って、我慢しないでくださいね。マジで。我慢せずに感情出すこと。が、目的ですよ。

 

ニセの悲しみ

心理学では、「怒り」は二次感情で、その下に「悲しみ」が隠れています。なので「怒り」を感じたら、その下にある「悲しみ」も感じた方がいい。なんてのを、よく聞きます。

で、「怒りは出てこないけど、悲しみはある。とても辛いし、さみしいと思う」となってる場合は注意が必要です。

ほんとうは「怒りたい」のです。「怒りたい」けど、「怒る」ことに抵抗感があると、「怒る」ことをすっ飛ばして「悲しみ」を感じているのです。これを【ニセの悲しみ】と(勝手に)呼んでいます。

 

【ニセの悲しみ】を「怒り」の下にある「真の悲しみ」と勘違いして、「辛かったよ~。しくしく」と悲しんでいるのです。これじゃ「怒り」はどこ行った?状態で、「真の悲しみ」も感じられませぬ。

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書き終わったら

書き終わったら、過去の自分に、「嫌な思いをした自分」に寄り添いながら、読み返してください。

「あ~、こんなふうに私は思っていたのに、おさえこんでいたのか。辛かったよね。だよね~。うんうん。」ってな感じです。

 

 

 

自分の感情を愛してください!

 感情を感じたくない。というのは意外と盲点で、過去の出来事について書くことには抵抗があるかもしれません。

なぜなら、過去の辛い出来事を蒸し返すからです。

辛かった悲しみや苦しみを思い出してまで、感じるのかよ。感じたくないよ~。いやだよ~。

と、なるかもしれませんが、もうリピートしないためにも、自分で自分の感情を感じてあげてほしいのです。

 

感情を感じるということは、感情を愛することになります。

自分の大切な感情、愛すべき感情を、「怒ってはいけない!」「泣いてはいけない!」「悲しんではいけない!」と禁止している時点で自分を愛せていません。

怒る自分も、悲しんでいる自分も、泣いている自分も、すべて「わたし」です。

 

どうか、大切なわたしの、大切な感情として、受け入れて感じてみてください。

 

 

 

鏡の世界(しくみ)

前回、現実の出来事は【無自覚的な思考】のあらわれ というブログを書きました。コレを別の表現にあらわすと

 

・自分の無自覚の思考(内側)=現実(外側)…無自覚な思考が、現実の出来事になる。

・無自覚の自分(内側)=相手(外側)…無自覚な自分が、相手としてあらわれる。

  

いわゆる 現実は私の鏡、鏡の世界。なのです。

 では、具体的にどう【鏡】なのか。見ていきましょう~。

 

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例1)自分が誰かにいじめられた。

これを鏡で見てみると

 

自分が自分をいじめていた。

自分が誰かをいじめていた。と、なります。

 

え?自分が自分をいじめている。とか、したことないよ。

自分が誰かをいじめていた。とかしてない。そんなサイテーなことしてない!

と、思ったとしても、

 

相手に「いじめられた」と感じたのが確かであれば、自分の中に「いじめる自分」がいるのです。

「いじめる」というのを、もう少し噛み砕くと「攻撃的」と変換できるかもしれません。

自分の中に「攻撃的な自分」がいないと、相手に「攻撃的」だと感じることはできません。

 

「攻撃的な自分」は知らないうちに、家族、友達、同僚に攻撃していたかもしれません。

「攻撃的な自分」は知らないうちに、自分に対して「○○してはいけない」と攻撃していたかもしれません。

無自覚的に存在していた「攻撃的な自分」を、相手に映し出していた。ということです。

※攻撃的なことをしてはいけません。ということではありません。

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 例2)あなたの目の前にはAさんとBさんがいます。

AさんがBさんの荷物を持ってあげていたとしましょう。

そしてあなたはこう思います「ああ、Aさんはとても優しくて親切な人だ。素敵な光景を見たなあ。」

これを鏡で見てみると

 

Aさんは、自分の中にいる「優しくて親切な私」あらわれ。です。

 

いやいや、私なんて親切なんかじゃありません。私は腹黒い部分もあるし。そんないい人じゃない。

と、とっさに思ったとしても、相手に対して「優しくて親切な人」と感じたのであれば、自分の中に確実に「優しくて親切な私」がいるのです。

 

 

相手に感じたものは必ず、自分の中にあります。

相手に感じた部分は、私の中にいる【私の一部】なのです。

 

 

例を挙げればキリがありませんが、最後にもうちょっと具体的な例をひとつ。

 

例3)あなたは複数人で行動をしていました。そしてみんなと同じことをせずに、自分のしたい事を優先していました。

そうすると、誰かに「おい!おまえ自分勝手なことするなよ!いい加減にしろ!」と言われてしまいました。

そしてあなたは「ごめんなさい(しゅん…)」となりました。

 

これを鏡で見てみると

自分のことを「私は自分勝手なことをするダメな人」だと思っていたということと、「自分のしたい事を優先してはいけない」というジャッジを持っていた。

あなたは、自分が無自覚に思っていたとおりにまわりの人に指摘された。ということです。

  

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自分の中にいる「知らない自分、無自覚な自分」が、相手に映し出される。

自分が誰かにしたことは、自分あてにかえってくる。

自分が自分にしたことは、自分あてにかえってくる。

自分が誰かに思っていることは、自分が自分に思っていること。

自分が自分に思っていることは、誰かにそう思われること。

 

 目の前にいる人すべての人たちが、私の中にいる【私の一部】をあらわす存在。

 

 

これが、鏡の世界です。

 

 

 

現実の出来事は【無自覚的な思考】のあらわれ

こんにちは、Rayです。

思考は現実化する とはいいますが、そもそも「思考・マインド」とはなんなのか 

 

自覚的な思考・無自覚的な思考

思考=マインド

思考・マインドには大きく「自覚的な思考」と「無自覚的な思考」と2パターンに分けられます。

 

自覚的な思考…「○○がほしい」「なりたい自分をイメージする」「アファメーション」などの願望的な考え(顕在意識)

無自覚的な思考…「自分が信じていること」「自分の思い込み」「価値観」などの決定的な考え(潜在意識)

 

現実の出来事は【無自覚的な思考】のあらわれです。

 

【無自覚的に思考】は、成長する過程で教えられ覚えたもの、自分自身が感じた事を信じたものなので、「いつの間にか持っちゃった思考」なのです。

 

無自覚←ここがポイントです。よく分かってないのです。よく知らないのです。

無自覚を自覚してないので、よく分からぬまま、「なんでこんなこと起こるの?」というような出来事が起きたり、うまくいかない現実、望まない現実になるわけです。

 

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自覚的な思考には現実をつくる力がない

願いを叶えたい時によくやる方法として、【自覚的な思考】をよく使います。

【自覚的な思考】というのは「○○がほしい」や「なりたい自分をイメージする」「アファメーション」などの願望的な考えです。

 

【自覚的な思考】

・良い事を考えたら、良い事が起きる

・ワクワクをイメージ

・なりたい自分をイメージ

・お金持ちの自分になっている!と思い込もうとする

 

 などなど、したりすることがあるかもしれません。

 

しかし

良い事考えてるのに、なんにも良い事起きないじゃん。

イメージングしてるのに、なれないの?

思考は現実化するんじゃないの?ウソなの?

 と、なることもあります。

 

それは、【無自覚的な思考】が現実化されるからです。

 

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自覚的に「なりたい自分をイメージ」していたとしても、アファメーションしても、無自覚的に「なれるわけない」や「本当はなりたくない」などの思考を持っていれば、現実は「なれるわけない」や「ならない」状態になります。

※イメージングやワクワクな気持ちが意味ない。ということではありません。

 

「本当はなりたくない」という【無自覚的な思考】を、ブロックともいったりしますね。

 

逆に、自覚的にも、無自覚的にも「自分は幸せ」だと思っていれば、すんなり「幸せを感じる出来事」が起こったりします。

 

【無自覚的な思考】には、それほど現実をつくるパワーがあるのです。