鏡の世界(しくみ)
前回、現実の出来事は【無自覚的な思考】のあらわれ というブログを書きました。コレを別の表現にあらわすと
・自分の無自覚の思考(内側)=現実(外側)…無自覚な思考が、現実の出来事になる。
・無自覚の自分(内側)=相手(外側)…無自覚な自分が、相手としてあらわれる。
いわゆる 現実は私の鏡、鏡の世界。なのです。
では、具体的にどう【鏡】なのか。見ていきましょう~。
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例1)自分が誰かにいじめられた。
これを鏡で見てみると
自分が自分をいじめていた。
自分が誰かをいじめていた。と、なります。
え?自分が自分をいじめている。とか、したことないよ。
自分が誰かをいじめていた。とかしてない。そんなサイテーなことしてない!
と、思ったとしても、
相手に「いじめられた」と感じたのが確かであれば、自分の中に「いじめる自分」がいるのです。
「いじめる」というのを、もう少し噛み砕くと「攻撃的」と変換できるかもしれません。
自分の中に「攻撃的な自分」がいないと、相手に「攻撃的」だと感じることはできません。
「攻撃的な自分」は知らないうちに、家族、友達、同僚に攻撃していたかもしれません。
「攻撃的な自分」は知らないうちに、自分に対して「○○してはいけない」と攻撃していたかもしれません。
無自覚的に存在していた「攻撃的な自分」を、相手に映し出していた。ということです。
※攻撃的なことをしてはいけません。ということではありません。
例2)あなたの目の前にはAさんとBさんがいます。
AさんがBさんの荷物を持ってあげていたとしましょう。
そしてあなたはこう思います「ああ、Aさんはとても優しくて親切な人だ。素敵な光景を見たなあ。」
これを鏡で見てみると
Aさんは、自分の中にいる「優しくて親切な私」あらわれ。です。
いやいや、私なんて親切なんかじゃありません。私は腹黒い部分もあるし。そんないい人じゃない。
と、とっさに思ったとしても、相手に対して「優しくて親切な人」と感じたのであれば、自分の中に確実に「優しくて親切な私」がいるのです。
相手に感じたものは必ず、自分の中にあります。
相手に感じた部分は、私の中にいる【私の一部】なのです。
例を挙げればキリがありませんが、最後にもうちょっと具体的な例をひとつ。
例3)あなたは複数人で行動をしていました。そしてみんなと同じことをせずに、自分のしたい事を優先していました。
そうすると、誰かに「おい!おまえ自分勝手なことするなよ!いい加減にしろ!」と言われてしまいました。
そしてあなたは「ごめんなさい(しゅん…)」となりました。
これを鏡で見てみると
自分のことを「私は自分勝手なことをするダメな人」だと思っていたということと、「自分のしたい事を優先してはいけない」というジャッジを持っていた。
あなたは、自分が無自覚に思っていたとおりにまわりの人に指摘された。ということです。
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自分の中にいる「知らない自分、無自覚な自分」が、相手に映し出される。
自分が誰かにしたことは、自分あてにかえってくる。
自分が自分にしたことは、自分あてにかえってくる。
自分が誰かに思っていることは、自分が自分に思っていること。
自分が自分に思っていることは、誰かにそう思われること。
目の前にいる人すべての人たちが、私の中にいる【私の一部】をあらわす存在。
これが、鏡の世界です。