鏡の世界(しくみ)

前回、現実の出来事は【無自覚的な思考】のあらわれ というブログを書きました。コレを別の表現にあらわすと

 

・自分の無自覚の思考(内側)=現実(外側)…無自覚な思考が、現実の出来事になる。

・無自覚の自分(内側)=相手(外側)…無自覚な自分が、相手としてあらわれる。

  

いわゆる 現実は私の鏡、鏡の世界。なのです。

 では、具体的にどう【鏡】なのか。見ていきましょう~。

 

*******

 

例1)自分が誰かにいじめられた。

これを鏡で見てみると

 

自分が自分をいじめていた。

自分が誰かをいじめていた。と、なります。

 

え?自分が自分をいじめている。とか、したことないよ。

自分が誰かをいじめていた。とかしてない。そんなサイテーなことしてない!

と、思ったとしても、

 

相手に「いじめられた」と感じたのが確かであれば、自分の中に「いじめる自分」がいるのです。

「いじめる」というのを、もう少し噛み砕くと「攻撃的」と変換できるかもしれません。

自分の中に「攻撃的な自分」がいないと、相手に「攻撃的」だと感じることはできません。

 

「攻撃的な自分」は知らないうちに、家族、友達、同僚に攻撃していたかもしれません。

「攻撃的な自分」は知らないうちに、自分に対して「○○してはいけない」と攻撃していたかもしれません。

無自覚的に存在していた「攻撃的な自分」を、相手に映し出していた。ということです。

※攻撃的なことをしてはいけません。ということではありません。

 f:id:rayray_000:20210602004322p:plain

 例2)あなたの目の前にはAさんとBさんがいます。

AさんがBさんの荷物を持ってあげていたとしましょう。

そしてあなたはこう思います「ああ、Aさんはとても優しくて親切な人だ。素敵な光景を見たなあ。」

これを鏡で見てみると

 

Aさんは、自分の中にいる「優しくて親切な私」あらわれ。です。

 

いやいや、私なんて親切なんかじゃありません。私は腹黒い部分もあるし。そんないい人じゃない。

と、とっさに思ったとしても、相手に対して「優しくて親切な人」と感じたのであれば、自分の中に確実に「優しくて親切な私」がいるのです。

 

 

相手に感じたものは必ず、自分の中にあります。

相手に感じた部分は、私の中にいる【私の一部】なのです。

 

 

例を挙げればキリがありませんが、最後にもうちょっと具体的な例をひとつ。

 

例3)あなたは複数人で行動をしていました。そしてみんなと同じことをせずに、自分のしたい事を優先していました。

そうすると、誰かに「おい!おまえ自分勝手なことするなよ!いい加減にしろ!」と言われてしまいました。

そしてあなたは「ごめんなさい(しゅん…)」となりました。

 

これを鏡で見てみると

自分のことを「私は自分勝手なことをするダメな人」だと思っていたということと、「自分のしたい事を優先してはいけない」というジャッジを持っていた。

あなたは、自分が無自覚に思っていたとおりにまわりの人に指摘された。ということです。

  

*******

 

自分の中にいる「知らない自分、無自覚な自分」が、相手に映し出される。

自分が誰かにしたことは、自分あてにかえってくる。

自分が自分にしたことは、自分あてにかえってくる。

自分が誰かに思っていることは、自分が自分に思っていること。

自分が自分に思っていることは、誰かにそう思われること。

 

 目の前にいる人すべての人たちが、私の中にいる【私の一部】をあらわす存在。

 

 

これが、鏡の世界です。